指示ゼロ経営が3年かかって開花した瞬間
指示ゼロ経営が3年かかってやっと実を結んだ!
先日、そんな瞬間に立ち会うことができました。
中道農園の園長、中道唯幸さんと奥様の裕子さん。もう6年くらい毎月コンサルティングという立場で伴走させていただいています。
たくらみ屋は終了期限と目的を明確にしたプロジェクトは得意ですが、長期に渡って定期的にコンサルティングするのは珍しいです。
中道農園さんは常に進化と変容がありますし、こちらも進化と変容し続けなければなりません。それがちょうどよい歩調で進んでお互いに磨き合いができるため、長期に渡って良い関係でご一緒していただいていると考えています。
農業人生の3つの課題
中道さんはこれまでの農業人生で3つの課題があったと語ります。
1つ目は、農薬を使う栽培から無農薬栽培へのチャレンジ。
2つ目は、無農薬米をお金に換えるネットショップへの思い切った投資。
そして3つ目が「指示ゼロ経営」だったのです。
ハードな農作業を長年頑張ってきました、やはり体力は落ちてきます。しかし無農薬米を買ってくれるのは特に次世代を担う子どもたちを大切に想う親の方々が多い。親父さんから引き継いだこの農園、ぜひとも後世に残したい。
そのためにはスタッフさんに技術も習得してもらい、天候・環境変化が激しい中で柔軟に対処し、自律的に未来を考える集団になってほしい。
そんな思いを持っていた中道さんが、私を通じて米澤晋也の指示ゼロ経営に出会うのは必然でした。
米澤が社長をしていた共和堂さんや、たくらみ屋の最初の大きな事例となっていただいた京屋染物店さんにも夫婦で見学に行かれました。
これまで園長の長年の経験と指示命令管理で行ってきた農業経営。今までとは違う考え方に戸惑いながらも、人が潜在する本来の才能を発揮していくことには大いに共感されました。
何よりも、自らが行っていた無農薬栽培、自然栽培の過程と全く同じことなのです。
土壌を育てて大変なお世話をし、無農薬米を作る。さらに土壌が良くなってくると、肥料をまかず、雑草も取らない自然栽培ができるようになってくる。自然栽培米はとても強く、台風が来てもなかなか倒れない。食べても力強い自然の生命力を感じることができる。
自然栽培の経験がある中道さんは、指示ゼロ経営の理解は結構スムーズだったように思います。
よし!第3の課題に立ち向かうぞという意気込みも見え、次世代に向かってチャレンジを開始しました。
指示ゼロ経営、やめたいんです。
数カ月後のこと。
「森本さん、ちょっとのあいだ、ご相談休みたいんですわ。。。」
仰る意味がすぐわかりました。見ていて、とても指示ゼロ経営が辛そうなのです。
今までの経験からすぐにやり方に口を出したくなる。いやここは自主性を重んじて我慢、と思うとさらに辛い。そのうちどんどんスタッフさんを信じられなくなってくるし、こんなことをやっていていいんだろか? 自分ができなくなったら農園をやめたほうがいいんじゃないか?とまで考えてしまう。
「今まで1つ目の課題、2つ目の課題は必死に頑張れた。しかし、この3つ目の課題はちょっーーーと違う。。。。」
天を仰ぎながら声を絞り出す中道さんに傾聴し、「そうですね。。。わかりました。」とお伝えするしかありませんでした。
それでもやっぱり、元には戻らない。
季節ひとつくらいお休みして農作業が忙しい時期になりました。
結果的に元の園長主導の経営に戻ることはしませんでした。というか、戻ってしまうと園長が居なくなった時に終わるしかないので、必然的にチャレンジせざるを得ないっていう感じだったと思います。
皆さん忙しく動いている時期、いろいろ試行錯誤することにもなります。園内研修をしたり、課題を置いてスタッフさんでやり方を相談してもらったり、意識的に田んぼに行かないようにしたり。
しばらくは浮き沈みが激しい時期でした。腹が立って朝礼で怒鳴った!って悪い時もあれば、スタッフさんがこんなことやってくれた、っていいこともあったり。常に揺れ動いていた感じです。
つい数ヶ月くらい前までは「全く指示ゼロ経営の成果は出ていない」と仰っていました。
。。。ただ、その浮き沈みの振れ幅が少しづつ小さくなっていくのも感じられていました。
一気に全てが繋がる。
2020年。世界の大きな前提が変わりました。
「いや〜、自分が生きているうちにこんなに世界がボロボロになるとは思わんかったですわ〜。」
そうです、コロナの影響で世界中が大混乱したのです。
中道農園さんではここで別の意味の混乱が起こりました。
「次世代に食べてもらう」ことを考えて、無農薬、自然栽培に取り組んで来た中道農園さんのお米は、この時期に安心安全ということで大きく注目されることになりました。
ステイホームで家食が増えたこともあり、中道農園さんのお米が大いに支持されたのです。
私の推測ですが。。。この時に農園の皆さんに「私達は世の中に求められている存在」という実感がとても大きくなったのではないかと思います。
仕事量は増えて大変だが、社会的にも大いに意義あることでとてもやりがいがあるし、助け合うようにもなる。
今までバラバラにやって来てわからなかった。
日頃の仕事の一つ一つは、何故やっているのかをあまり意識したことがなかった。
研修やっていた時は、何でこんなことやってるのかよくわからなかった。
みんなで考えるミーティングをした時も、何故こんなことをやるのか?と思っていた。
でも実際に支持されていることを実感し、農園の未来の方向性を共有しだした時に、やってきたことが全部つながってきて化学反応を起こし、一気に集団が良い発酵を起こし始めました。
6月、久しぶりに農園さんを訪れました。
快晴の中、みなさんの顔が穏やかです。
「今年は順調に行っています。」
皆さんで作った予定共有のホワイトボードが、文字が一杯に書き込まれています。いいコミュニケーションのツールとして機能しているようです。
園長も、あれこれ気になるってところがなく「農園を見に行ってなくても大丈夫」と感じているように見えます。
スタッフさんの1人は「今、僕がやっていることは園長はわからないと思いますよ。」って言ってました。長年の経験が必要だと思われていた現場は、スタッフさんたちで十分切り回せるようになっているようです。
お昼休み、1人のスタッフさんが私に「コーヒー入れましょうか?」って言ってくれました。
えっ?と私は一瞬思いました。6年の間、一度もそんなことはなかったからです。何か確実に空気が変わっていました。
「ありがとうございます(^-^)」 とお礼して嬉しくいただきましたが。。。夜はもっと凄い驚きがありました。
夜、一番若手のスタッフさんと、園長夫婦と会食に行きました。
そのスタッフさんも、入園した時は「えらいとこに入ってしまったな〜」と思っていたみたいです。とてもやる気はあるので、いざとなれば独立する気満々だったスタッフさんです。
しかし、その会食の場で出た言葉に私は驚きました。
「僕、中道農園に骨を埋めようと思っているんです。妻にもそう伝えて、ええやんと言ってもらいました。」
私は「え〜!」と叫んでしまいました。
黙って頷いて聴く中道さん。相当に嬉しかったに違いありません。
「中道農園は世界に注目されてくると思うんですよ。夢しかないですね!」
いつのまにか、スタッフさんは自ら世界を見て働くようになっていたのです。
農園の人たちはみんな自分たちで考え始めました。助け合いも始まりました。自律的集団がはじまりました。自走が始まりました。
3年かけて田んぼの土壌だけでなく、集団の土壌がようやくできあがってきました。
中道農園さんの集団は、次のステージに入りました。
私は指示ゼロ経営の伴走から、農業学校を作りたい、次世代に伝えたいという園長の長年の夢を実現していく伴走をすることになっていくと思います。
さて、私も中道さんと共にたくらみます。全国の農園が次世代が集まる自然学校になるような展開を。
中道農園の皆さん、一緒に次世代に自信を持って渡せるものを作っていきましょうね!
中道農園さんが指示ゼロ経営のプロセスを赤裸々に語る
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投稿者プロフィール
- 1966年大阪市生まれ。革新の好循環を起こす「プロの素人」。株式会社こきょう 代表取締役。「教えない」企業研修で何故か良くなってしまう。そのためにTOC(国際認定ジョナ資格)、MG(西研究所認定インストラクター)、20年のEC業界経験で築いたご縁と、大学で河合隼雄氏に学んだ臨床心理学を駆使。
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相談に答えない事業相談会
たくらみ屋の最も気軽な相談窓口です。こんな方に効きます。
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・次の一手がわからない。
・問題がたくさんありすぎて、何からやっていいかわからない。