たくらみ屋の企み blog

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言葉にできなかった理由:第2回たくらみフェスタ

「うーん。。。😊」
「何かな〜。。。😊」
「そうだね〜。。。😊」

「これはね、もう言葉にできないよね。」

第2回たくらみフェスタ。もしこの内容をもう一度やることになってもたぶん、「とにかくじ〜んと長く余韻が続くいい集まりがあるから来て。」としか言えない。

「言葉にしちゃうと台無しになりそう。」だから、交流会でもみんな身体や身振り手振りで表現する。

そうだ、「何か」はなかなか言葉で表現できないけど「誰がどうした」は表現できる。

聴覚障害のダンサー・鹿子澤拳さんは、開始早々に圧倒的な身振り手振り振り付け(手話含む)で、言葉以上の魂を表現していた。

彼が話し始めてからすぐに、聞き手は相槌どころか声でリアクション起こしだした。そう、言葉以上の何かが伝わって完全に話し手と聞き手がシンクロしていた。

「耳が聞こえない」のをカバーして余りある、暗黙知と気持ちを交流させる表現だった。セミナー歴20年の私は、今まで口だけを使いすぎていたと猛省した。

そうだ、ここは言葉以上のものを伝える場所だったんだ。

次には拳さんのお母さんの鹿子澤睦子さんが登場。睦子さんは「書いてきたものを読むだけですから」と淡々と話す。

しかし夫と息子2人を前にして家族の歴史を話す睦子さんの姿は、講演者というより「朗読者」「語り部」である。

「あの時はこんな思いだったんだよ。」
「この時はこんなふうに考えていたんだよ。」
「だから私はこうしたんだよ。」

まるで家族に伝えるように語り続ける。

誰も一言も聞き漏らさない。長年のストーリーは、今なぜこのようにありつづけるのか?なぜやるか? そのものだからである。

家族間で「そうだったんだ。」「そんなこと知らなかった。」っていう目線や表情が会話をしている。そんな姿を見て、さらに語りが深く心に刻まれる。

そんな親子の講演。。。ではない、「パフォーマンス」「表現」を受けて、最後はパラリンピック銀メダリストの馬島誠さんの登場。

大学在学中に6万6千ボルトの高圧電線に接触する事故に遭い、下半身に障害が残り車椅子となる。そこから努力してメダルを獲得した!それは素晴らしいが、それは単なる結果の話。

彼は徹底してそのプロセスを作った「他喜力」つまり相手を喜ばせ続ける力を表現しつづけた。他喜力のお陰で人生が変化することを伝え続けた。

なかなか選手に選ばれなかった。その理由は何と「頑張ったからだった」という。

自分が選手になりたいがために、眉間にシワを寄せて苦しい苦しいと思いながら努力し続けた。頑張り続けることで道がひらけると考えていた。

しかしある時、こう言われた。

「ホッケーというチームスポーツなのに、自分のために頑張ってどうする。がんばるは顔晴ると書く。大切な人の笑顔がみたいから顔晴れるんだ。」

そう、自分のために頑張るとどこかで辛さや行き詰まり感が出て来る。しかし大切な人の笑顔を見るために顔張るのは際限がない。

そう考えるようになってから「もう一歩」努力を重ね続けられるようになった。「あと一歩」ができるようになった。

その結果、選手に選ばれバンクーバーで銀メダルを獲得する道を歩むことになる。

私はメダリストは頑張り続けられる、努力を続けられる鋼鉄の精神の持ち主だと想像していた。しかし、馬島さんはそんなことではないと明確に仰った。

感電して服に火が付いて大やけどを負った腕を見せながら、メダリストですらそんな鋼鉄の精神は持っていないと自ら表現してくれた。もうダメだと思った時、もう一歩踏み出せるかどうか。そして誰でも自分自身のもう一歩を踏み出せる明確な道標を与えてくれた。

耳が聴こえないことから一歩踏み出した拳さん。それを支え続けた睦子さん。一歩の踏み出し方を伝えてくれた馬島さん。

拳さん、睦子さん、馬島さんの話が全て繋がった時「全く言葉にできない」空間が広がった。

エンディングビデオが終わっても、皆さんしばらく声を出せなかった。立てなかった。何もできなかった。

。。。

たくらみベースを出て懇親会場に歩く途中、米ちゃんと話した。

「すごく良かったね。」
「良かったね。」
「学校作りたいね。」
「作りたいね。」

こんなに素晴らしい人たちが輩出されて行くならば、一歩踏み出し続ける場として学校を作りたい。

そんな決意を新たにできるたくらみフェスタでした。

拳さん、睦子さん、馬島さん、参加していただいた皆さん、本当にありがとうございました。